森の入り口

本を読んだり映画を観たり音楽を聴いてどうにか人のかたちを保っています

カルロス・ルイス・サフォン-『風の影』に寄せて

サフォンが亡くなった。

訃報を知ったのは本当にたまたまで、そろそろ「忘れられた本の墓場」シリーズ最終作"El laberinto de los espíritus"(『魂の迷宮』)の翻訳が出ても良い頃なんじゃないか、スペイン語の原書が出てから4年近く経ったし…と思いたって何か情報が無いのか検索したからだ。新刊の所在をふと気に留めなかったら、ずっと気づかないままだったかもしれない。その3日前に、サフォンはこの世から旅立っていた。数年前から癌を患っていたらしい。

スペインの作家カルロス・ルイス・サフォンを、本好きの方ならおそらくご存知だろう。スペインの国民的作家で、彼の一番の代表作である『風の影』("La sombra del viento")は世界中で翻訳されて読まれているし、日本でも2007年の「このミステリーがすごい!」の4位にランクインしている。1950年代の未だ内戦時代の傷痕の残るバルセロナを舞台に、古書店の息子ダニエルと彼が少年時代に出会ったかけがえのない小説を結ぶ数奇な運命を描いた作品だ。

 

『風の影』は、ジュブナイル小説であり、主人公が恋の痛みや挫折を重ねながらも障壁を越えて成長していく19世紀教養小説的側面もあり、ユーモラスで魅力溢れるキャラクターに彩られたコメディ要素もありながら、ゴシック小説を彷彿させる身も凍るようなサスペンス小説でもあり、胸を焦がしうっとりするような陶酔に触れるロマンス小説でもある。一言で定義できないほど多彩な色を持った小説だ。出てくる登場人物はそれぞれまるで違った性格をしていて、読み返すたびに違うキャラクターに感情移入してしまう。二度と帰らない過去への執着や、自分の身を犠牲にしてでも相手の幸福を祈る張り裂けるような愛情、復讐に取り憑かれて鬼になってしまった人間の怨念、親友のために孤独な男が見せた精一杯の熱い友情、一瞬の恋の煌めきのために燃え盛る炎に身を投じる若き情熱が、描かれている。

そんな中でとりわけ私を夢中にしたのは、この作品において繰り返し描かれる過去に取り憑かれた人間たちだ。思い出、二度と戻っては来ない時間、自分の奥深くに堆積し続ける記憶…生きていく上でお守りにも足枷にもなり得るこの厄介な蜃気楼のようなものにどう向き合うべきかを、サフォンは教えてくれた。

この作品の主人公ダニエルは、幼い頃に亡くした母の不在による喪失感に悩んでいる。朧げながら残っていた母の面影を彼が忘れてしまったある朝から、全ては始まった。半狂乱になったダニエルを宥めた父親は、彼をバルセロナの奥深くにある秘密の場所、「忘れられた本の墓場」へと導く。そこは事情によって今や読まれなくなってしまい、世間から忘れられようとしている本たちが眠っている。

「この場所にはじめて来た人間には、ひとつきまりがある。ここにある本を、どれか一冊えらぶんだ。気にいれば、どれでもいい。それをひきとって、ぜったいにこの世から消えないように、永遠に生き長らえるように、その本を守ってやらなきゃいけない。とってもだいじな約束なんだ。いいか、一生の約束だぞ」

と、父はぼくに言いきかせた。

「きょうは、おまえがその番だ」

そんな、本好きには堪らないような掟に従って、ダニエルはふと目に止まった本…『風の影』を手に取った。予感は的中し、その本は彼の心を虜にして最後のページにたどり着くまで彼を掴んで離さなかった。初めて心から物語の世界に没頭し夢中になったその本は、少年にとってかけがえのない宝物であり友人となった。

 

ダニエル少年が夢中になった本の著者であるフリアン・カラックスは、謎に包まれた作家だった。バルセロナの出身でありながらパリに移住し、彼の地で何作もの小説を発表したものの鳴かず飛ばず。『風の影』を出版した直後に内戦真っ只中のバルセロナに戻ってきて、非業の死を遂げた。ダニエルが闇の中から拾い上げた作家は、もう過去に葬られていたも同然だったのだ。      

               

作家に惚れ込んでしまった人間がそうせずにはいられないように、ダニエルもカラックスの全作品を読もうと息巻くが、この世にカラックスの小説は殆ど残っていなかった。何故ならある時期を境に、彼の本を焼いて回る「ライン・クーベルト」と名乗る不思議な男が現れたからだ。作家の分身とも言うべき作品をこの世から残さず消すなんてよほど強い恨みを持っているに違いない。忘れられない限り人間が生き続けるのだとしたら、その生きた証である小説を消すのは二度目の死を迎えるようなものだ。こうした、記憶と対になる"忘却"の恐ろしさとそれがもたらす救いについても、『風の影』で印象的なテーマだ。

そして、カラックスと親交のあった女性ヌリアを紹介されたダニエルは闇の彼方に消えた作家の過去へと足を踏み入れてしまう。


やがて少年ダニエルも向こう見ずな初恋に破れ、少しずつ人生の辛酸を味わう。ひょんなことから知り合った饒舌なホームレスの男性フェルミンを、ダニエルは父の古書店に迎え入れる。内戦とのいわくありげな過去を持つ、この皮肉屋で弁の立つ何処か憎めない男はやがてダニエルの良き相談相手として、また悪友として大切な存在になっていく。成長したダニエルは、ある日大地がグラグラと揺れるような衝撃を受け、抗いようのない恋に落ちてしまう。

一方で、フリアン・カラックスの生家や母校を訪ね、彼の交友関係を少しずつ洗っていたダニエルとフェルミンに、執拗に近づき警告をする男がいた。その男、刑事のハビエルは、フェルミンを拷問した過去を持ち、内戦期には密告者として暗躍した冷酷で無慈悲な人間だ。ただの好奇心からカラックスについて調べていたはずが、ダニエルはいつしかこの作家が今も闇に消えてはおらず、その因縁が現代に繋がっていることに気づく。ダニエルが少年時代のフリアンの愛した女性の存在に辿り着いたとき、過去で塗り固められた牙城は音を立てて崩れ、ダニエルの人生をも侵食し始めるのだった……。

 

ダニエルがカラックスを追い続ける限り、彼は忘却の彼方には追いやられずに命の灯火を燃やし続けている。そして、世界から忽然と姿を消したフリアン・カラックスを憎む人間がいる限り、彼の存在が失われることはない。過去がどんどん遠くに流されていったとしても、覚えている人間がいる限り、見失われることはない。思い出と記憶を脅かす敵は忘却であるのだから。

対照的に、過ぎ去りし時にいつまでも執着し続ける人間を、サフォンはこの作品においては「思い出という牢獄に囚われた」人間として描いている。過去は、死者は、生者の心を蝕むものにもなり得るのだ。それでは過去にいつまでも執着して身も心も蝕まれた人間は不幸なのだろうか。一概に断言することはできないし、『風の影』に出てくる何人ものそんなキャラクターたちは各々違った結末を迎えている。

フリアン・カラックスについて明らかになるにつれてダニエルの世界はまるで入れ子構造のようにカラックスの過去とシンクロする。やがてダニエルの周りにも危険が及び、恐ろしい真実が近づいていた。

 

抽象的な話ばかり書いてしまったが、ご容赦いただきたい。ダニエルの人生が次第に『風の影』と重なっていくように、私にとってもこのサフォンの作品は、奇妙な縁で結ばれている。かつて『風の影』を教えてくれた人間がこの世からいなくなってしまったときに、私は初めてこの小説を手に取った。私はこの物語を読みながら、同時に喪った人間の残り香を、目には見えない影を追ってもいた。『風の影』の多くの登場人物たちのように過去に強く惹きつけられてしまう私にとっては、本を読むことは思い出との向き合い方を模索していく時間でもあったのだ。未だに答えにはたどり着かないし、本の隙間から過去に想いを馳せては胸が痛む日々だ。それでも、忘却とそれに抗うための思い出への関わり方については、これから先も付き合い続けていくのだろう。

 

私は『風の影』が大好きだ。個人的な思い入れも勿論大きいが、何よりこの物語そのものを愛している。未熟なところもあるが情熱に逆らえない主人公ダニエルはなんだかんだで愛おしいし、愛すべきフェルミンの人生論や気持ちの良いシニカルな弁舌が大好きだ。カラックスの謎を握る女性ヌリアの余白から伝わってくる哀切や孤独、表に現れない心情を考えてはため息をつく。段々自分の手から離れていく息子をただただ案じながら見守るダニエルの父親には胸が痛む。この小説は愛する人間のために自分に何をできるのかを示してくれる。それが自己犠牲なのか狡猾さを身につけることなのか、はたまた正面からぶつかっていくのか遠くで見守ることなのかは、読者の手に委ねられている。

私は時折、この物語の登場人物たちのことを考える。何人かはあまりに強く想いすぎてまるで旧知の仲であるような気さえしてくる。

 

 

希望が見つけられず絶望から抜け出す糸口を探して苦しんでいたあの頃、私がどうにか自分を保っていられたのは『風の影』が傍にいてくれたからだった。これから先も私がこの小説を開くたび、ページを繰るたびにその隙間にはサフォンの魂が生き続けていると信じてやまない。私にとっての貴方は紛れもなく、ダニエルにとってのフリアン・カラックスのような作家だった。

おまえが見ている本の一冊一冊、一巻一巻に魂が宿っている。本を書いた人間の魂と、その本を読んで、その本と人生をともにしたり、それを夢みた人たちの魂だ。一冊の本が人の手から手にわたるたびに、そして誰かがページに目を走らせるたびに、その本の精神は育まれて、強くなっていくんだよ

鳴り響く鼓動のフーガ:『真夜中のピアニスト』感想(ネタバレあり)

ジャック・オーディアール監督、『シェイプ・オブ・ウォーター』や『イミテーション・ゲーム』のアレクサンドル・デスプラが音楽を担当した(!!)『真夜中のピアニスト』(2005)を観た。このミステリアスな邦題が内包する趣に惹かれて気になっていたのだ。配信も見つからず、隣の市のゲオに在庫を見つけて漸く観ることができた。その市はもう亡くなってしまった祖母の家がかつてはあったり今でも叔母一家が住んでいる土地だが、もう3年ぐらい訪れていない気がする。年の近い従姉妹や昔は姉のように慕っていた少し年の離れた従姉妹が何をしているのか全然聞かない。以前は田んぼが広がるのどかな場所だったような気がするのだが、久しぶりに足を踏み入れたその街は今やマンションが立ち並び、道は狭くなって全く姿を変えていた。目的地を目指しながら、どこか後ろめたい郷愁を感じた。

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原題は"De battre mon cœur s'est arrêté"で、「止まった僕の心臓の鼓動」というような意味。まあ邦題は案の定独自のニュアンスを出してしまった。 1978年のアメリカ映画『マッド・フィンガーズ』のリメイクで、舞台をパリに移して主人公もマフィアから市井の人間に変えたようだ。元の映画を見ていないので何とも言えないが、フランスの話に落とし込んだことで撮影時の社会問題(移民問題とか)なんかに触れており、何よりピアニストを志す若者にとってパリはこれ以上ない場所である。

 

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ロマン・デュリス演じる主人公のトムは、不動産ブローカーとして立ち退き要求や物件の管理をしている。立ち退きに応じない物件に鼠を放ち、必要なら暴力で追い出すようななかなか悪どいことをしている。仕事終わりには仲間2人と飲んだりナンパをするお決まりの毎日で、鬱屈した思いを抱いている。彼の父ロベールも不動産業をやっていて、家賃の取り立てのために乱暴したり手段を厭わないあたり、トムが父の影響下にあることがうかがわれる。そんな彼が唯一心を落ち着けられるのはヘッドフォンで音楽を聴いているときだけ。外界のノイズをシャットアウトして目を閉じて笑みを浮かべる彼の内面の様子が手に取るように伝わってくる。

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ある日、トムは偶然昔のピアノの恩師に再会する。今はコンサートマネジメントに勤しむかつての師からオーディションの誘いを受けて、彼はピアノを再開することに決める。実は亡くなったトムの母親はピアニストだったのだ。しかし彼女は相当神経質だったようで、彼が自宅で再生した母の録音では演奏をすぐに止めては何度も弾き直しをする様が聴こえてくる。物質的な豊かさを重んじてお金が第一のトムの父とピアニストの母はどうも結びつかない。この複雑に絡んだ糸のようなトムの家族関係はこの作品の一つのモチーフとして、何度も現れる。

 

ところで、楽器を演奏する人ならブランクの恐ろしさはよくお分かりだろう。「1日練習を休むと取り戻すのに3日かかる」というよく教師が生徒を脅す文句もあるぐらいで、演奏において身体の使い方、適切な姿勢、指の回り具合は表現以前の問題であり、これらが鈍っていてはどんなに自分の理想とする演奏があったとしても再現できない。ましてやトムは10年以上ピアノから離れていて、息抜きにたまに触れるぐらいだったのだから、彼がコンサートピアニストの世界を目指すことがどんなに困難な道かは容易に想像がつく。

さらにトムは肥大化したプライド、虚栄心は十分すぎるぐらい持っていた。こんなことできらぁ!と言わんばかりに尊大な態度で無茶な目標を掲げる彼にピアノ教師たちは眉をひそめ、まるで取り合わない。漸く彼が見つけた先生は、奨学金を得てフランスの音楽院に留学に来ていた中国人女性ミャオリンだった。こうして、フランス語を殆ど解さない穏やかで大人しそうな教師とトムのレッスンが始まった。

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トムは実に自分勝手で、プライドに比例して理想ばかり高いのに決して自分の現実を直視しようとしない。犯罪まがいの仕事に手を染め、女の尻ばかり追いかける同僚たちを内心馬鹿にして、自分はこんな世界に早くさよならをして高貴な芸術の世界に行くんだと夢を見る。しかし、決してそのピアニストへの道に待ち受ける厳しさなど考えようともしないのだ。彼にとってはピアノが現実逃避の手段になっていて、手段が目的化している。ただただ現状から抜け出したくて、自分はここにいるべき人間じゃないと焦燥感に追い詰められるトムを見ているとこちらも首を絞められたような気がしてくる。トムはあまり好意を抱けないような男だ。同僚の浮気のアリバイ作りに利用されるのにうんざりし、彼の妻と関係を持つ。とにかく口がうまいのだ。寂しい人妻をあっという間に誘惑し、束の間の刺激を味わう。父に頼まれて取り立てに行ったロシア人の愛人も口説き落として手を出す。彼にとって女性は鬱憤の捌け口として粗雑に扱われる。

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そんないけすかない男なのについつい画面から目が離せないのは、彼を演じたロマン・デュリスの演技が実に良いからだ。まず表情が素晴らしい。自分が一番可愛くて他人なんかどうにでもなれとさえ思っているトムは営業スマイルから相手を小馬鹿にしたような笑い方、己の卑屈さに気づかず浮かべた歪んだ微笑み…と、笑い方にしても引き出しからどんどん出てくる。それがこの男を多層的で一筋縄ではいかない人間に思わせてきて、ある点においては共感してしまう瞬間がきてしまう。序盤と終盤の暴力シーンにおける彼の表情の違いも、置かれた状況に対する受け止め方が変容したことが窺われてよかった。この映画は台詞がそんなに多くないので、デュリスの所作や表情などの余白から感じられるものが多かった。

 

さて、トムと父親の関係は捻れている。父は彼を呼びつけては取り立てや立ち退きのための乱暴要員として扱う。頻繁に会っているのにお互いの好きなものには関心を示さず、同じ空間にいてもその距離感は隔たれている。トムが任務に失敗すれば失望を隠さず、成功してもさも当たり前かのように褒めもしない父と子の関係はあくまで損得勘定に基づいたものに見える。他方トムはトムで、父親に紹介された恋人を財産目当ての娼婦だと露骨にバカにして、彼らの関係をぶち壊す。その点においてトムは、父親を取られることに嫉妬と不安に苛まれる幼い子供のようだ。しかし、彼の父はピアノのせいで母親が不幸になったと考えていて、音楽にはまるで興味を示さない。トムは父に隠れて母の録音を聴いては心を安らげ、ピアノに一層打ち込む。このように、この映画ではトムの本職である不動産業が父親の、ピアノが母親の記号として扱われている。昼間本業に身が入らず、ピアノに心を奪われている様子からは父親からの解放と母への思慕を描いているようにも感じられる。終盤、父親が関わったあるロシア人のせいでこの父子関係は悲劇的な結末を迎えてしまうが、トムにとって父親は一貫して乗り越えるべき障壁として描かれていた。

 

この作品ではディスコミュニケーションの描き方が巧みだ。口が上手くてどんどん相手の気を引いてその気にさせるトムだが、人との関係はお世辞にもうまくいっているとは言えない。同僚には心を開けず、不倫相手はただの火遊びの相手で、父親との関係は行き詰まっている。去りゆく父に「パパ!」と呼びかける彼の悲痛な叫びは聞いてもらえないし、電話越しにどんなに愛を語らっても彼の表情は満たされない。この映画では喫煙シーンが多く割かれていて、トムは落ち着かなくなるとすぐに煙草をくわえる。この煙草の使い方がうまかった。ピアノを弾く前には一本味わうような吸い方もする一方で、人と対峙しているときにはすぐに何本も吸ってしまう。

このように人とうまく関われない主人公にとって唯一の安寧の地となっていくのが、ピアノ教師ミャオリンとのレッスンだった。はじめは言葉も分からない外国人に何がわかる、と言いたげに見下していた彼も、ミャオリンのジェスチャーや慈しむような眼差しといった真摯な態度から次第に彼女に心を許すようになる。彼らのコミュニケーションの大半はジェスチャーや音楽記号、短い英単語で、会話とは言い難いものだ。それでも、いつしかレッスン後にはお茶の時間が設けられ、トムは彼女にフランス語を教えることで彼らのやり取りは双方向のものになる。

 

この『真夜中のピアニスト』という映画は、ピアニストを志す夢追い人を描いているように見えるが、現状に閉塞感を抱えてとにかく打破しようともがく自分勝手な男が自分の安らげる居場所を獲得していく物語だった。トムがオーディションで最後まで弾ききることのできなかったのは、彼をずっと見てきた私にとっても想定内だった。仕事をしているときも、家族や仲間といるときもずっと彼のうるさい心臓の音が聴こえてくるようだったが、彼の演奏についてもそう言える。トムがオーディション用に選んだバッハのトッカータBWV914のフーガはまるで迅る心臓の鼓動が打ち鳴らされるような疾走感で、こっちが不安に苛まれるぐらいだ。最後にトムの辿り着いた場所は見ようによっては敗者に思われるかもしれないが、とにかく此処ではない何処かに行きたかった彼にとっては夢が叶ったも同然かもしれない。ラストシーンでピアノの音色に耳を傾ける彼の満足しきった蕩けるような安堵の表情に、この映画でずっと鳴り響いた鼓動も漸く落ち着いたような気がした。


Grigory Sokolov plays Bach Toccata in E minor, BWV 914 - video 1990

(冒頭がそのフーガだ。また、3:15からを参照されたい)


そもそもこの作品を知ったのはデスプラが音楽を担当した映画を調べていたときだった。こういう音楽映画では登場人物たちが演奏する曲の方がメインになりがちだけれど、場面の隙間を埋めるかのように溢れるデスプラの曲が実に良かった。独特の靄のかかったような世界観は、夜にピアノに向き合うことで漸く自分の安寧を見出せるトムにとてもよく合っていた。Merci, Desplat!

30-DAYFilmChallengeを1日でやってみた

最近Twitterでよく見かける#30DayFilmChallengeを無性にやりたくなったので、クラシック版を20日目辺りで挫折した反省を踏まえて一気にやりました。

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DAY1- the first film you remember watching

千と千尋の神隠し』(2001)

当時あの映画を劇場で見た子供の御多分に洩れず、千尋の両親が豚になったシーンはその後何年も私のトラウマでした。

 

DAY2- a film you like that starts with the first letter of your name

『Midnight in Paris』(2011)

大好きな映画。特に作品そのままにハードボイルド節を炸裂するヘミングウェイが大好きであの場面を何度も見てしまう。過去への憧れに対する決着のつけ方も好き。

 

DAY3- a film that has more than five words

『Once Upon a Time in Hollywood』(2019)

長いからいつも「ワンハリ」って言っちゃうしちゃんとタイトル全部言おうとすると必ず噛む。

 

DAY4- a film with a number in the title

『Three Billboards Outside Ebbing, Missouri』(2017)

オスカー獲ったときのフランシス・マクドーマンドのスピーチは何回見ても心震えて涙がこぼれる。


Frances McDormand wins Best Actress

 

DAY5- a film where a character has a job you want

亀は意外と速く泳ぐ』(2005)

人畜無害な顔して謎スパイ組織に入りたい。のだめイメージに染まる前の上野樹里が見られます。

 

DAY6- your favourite animated film

ノートルダムの鐘』(1996)

まだ幼く記憶にも残っていないころに家でずっとビデオで流れていたみたいで、大人になって再び観たときにはどの曲にも細部のあらゆる装飾にも既視感があって驚いた。原版も好きだけど、吹替の石丸幹二はじめとする劇団四季のキャストの歌が大好きなので敢えて日本語のタイトルで。

 

DAY7- a film that you will never get tired of

ラヂオの時間』(1997)

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何度も見すぎて台詞もオチもみんな分かり切ってるのに見るたびに涙が出るほど笑ってしまう。一日ずっと見ていても飽きない映画。

 

DAY8- a film where you liked the soundtrack more

『La La Land』(2016)

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一時期やる気を奮い立たせるために"Another Day of Sun"をよく聴いてたなぁ。

 

DAY9- a film you hate that everyone else liked

『The Greatest Showman』(2017)

パフォーマンスを楽しんでおいてなんだという感じだけど、いくらヒュー・ジャックマンが大好きでも展開がいただけないので…

 

DAY10- your favourite superhero film

『Baahubali 2: The Conclusion』(2017)

父バーフバリで。映画館で観たとき隣に座っていた女性が民衆がバーフバリを称えるシーンで一緒に拳を突き上げていたのが忘れられない。

 

DAY11- a film you like from your least favourite genre

『Fight Club』(1999)

スリラー系普段見ないけどファイトクラブは何度でも見たくなる。この映画のヘレナ・ボナムカーターも好きすぎる。

 

DAY12- a film that you hate from your favourite genre

『Yesterday』(2019)

この手の映画は好きなはずと思って見に行ったけど、肝心の主人公がどうも気に入らないのもあって殆ど入り込めなかった。エド・シーランのiPhoneの着信音が"Shape of You"になってる演出は良かった。

 

DAY13- a film that put you in deep thoughts

『Manchester by the Sea』(2016)

抗いようのない傷を抱えても尚、人は立ち直り前に進まなくてはならないのか。最後に主人公リー(ケイシー・アフレック)が導き出した答えは一つの道標になった。


Adagio Per Archi E Organo in Sol Minore - The London Philharmonic Orchestra ᴴᴰ

 

DAY14- a film that gave you depression

寝ても覚めても』(2018)

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観終わってから一ヶ月ぐらい「朝子…朝子…おまえ……」と引きずった。

 

DAY15- a film that makes you feel happy

『Good Will Hunting』(1997)

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『Sing Street』(2016)

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この世界にこの二つの作品があること自体が幸せ。

 

DAY16- a film that is personal to you

『Tous les matins du monde』(1991)

サント・コロンブが到達し、マラン・マレもまた師によって導かれた境地に、恐らく一度だけ辿り着いたことがある。

hskl527.hateblo.jp

 

 DAY17- favourite film sequel

Harry Potter and the Prisoner of Azkaban』(2004)

リーマスシリウスの再会に胸が熱くなる。タイムターナーを使った時間巻き戻しの場面は何度見てもよくできてるなぁと思う。今知ったけど監督はアルフォンソ・キュアロンだったのか!

 

DAY18- a film that stars your favourite actor/actress

『A Single Man』(2009)

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『Disobedience』(2017)

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コリン・ファースレイチェル・マクアダムスがとても好きです。

 

DAY19- a film made by your favourite director

『The Legend of 1900』(1998)

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ジュゼッペ・トルナトーレの描くノスタルジーにずっと魅せられている。

 

DAY20- a film that changed your life

『Das Leben der Anderen』(2006)

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この映画を観た日のことは一生忘れない。

 

DAY21- a film that you dozed off in

『Mary Queen of Scots』(2018)

正月にワイン飲みながら見てたせいかもしれないけどやけに眠かった。しかしシアーシャ・ローナン:メアリ・スチュアートマーゴット・ロビー:エリザベス女王という配役がドンピシャの采配だった。 

 

DAY22- a film that made you angry

ちはやふる -結び-』(2018)

原作で大好きな2年生コンビが映画の構成上仕方がないとはいえ1年の田丸と合体した性格にされてとんでもない人格にされていたことに静かな憤りをおぼえた。

 

DAY23- a film made by director that is dead

O Estranho Caso de Angélica』(2010)

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オリヴェイラ監督はこの作品しか見たことがないのですが、息の詰まるほどの静寂、神秘に包まれた死後の描写が美しかった。

 

DAY24- a film you wish you saw in theatres

『Nuovo Cinema Paradiso』(1988)

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この映画と映画館で出会いたかったなと思うばかり。

 

hskl527.hateblo.jp

 

DAY25- a film you like that is not set in the current era

『Amadeus』(1984)

ラストシーンのサリエリの台詞が好きで好きでたまらないのです。

 

DAY26- a film you like that is adapted from somewhere

容疑者Xの献身』(2008)

原作もガリレオシリーズの中で一番好きなんだけど、映画は別格。

 

DAY27- a film that is visually striking to you

『The Shape of Water』(2017)

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永遠に眺めていられる吸い込まれそうな青の色彩の虜になった。

 

DAY28- a film that made you feel uncomfortable

『僕の初恋をキミに捧ぐ』(2009)

中学の時にグループで観に行ったら自分以外みんな泣いていて、なんとなく気まずかった思い出。あの長い原作をよくこの尺に入れたなと感心した。

 

DAY29- a film that makes you want to fall in love

『Before Sunrise』(1995)

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ジェシーセリーヌのような関係を誰かと築けたらなぁと夢を見る日々です。

 

『Carol』(2015)

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うう……

 

DAY30- a film with your favourite ending

『Dead Poets Society』(1989)

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"O Captain! My Captain!"

これ以上はもう何も言うまい。

 

 

配信などでせっせと観てはいるものの、映画館への思慕が募るばかり。それでもこうして好きな映画に想いを馳せる時間は幸せでした。

 

福永への凄まじいリスペクト:大林宣彦『廃市』(1983)

大林宣彦の映画『廃市』を観た。

ずっと、かれこれ5年近く見よう見ようと思っていたのだ。それを理由をつけては後に回しているうちに時間が経っていた。大林宣彦が如何に福永武彦を愛しているのか、氏の『草の花』への想いを伝え聞いただけでもよく分かってしまい、そんな人が撮った福永の世界はどんなものなんだろうと恐れおののいてしまったのだ。

見苦しい言い訳はやめにしよう。

 

火事で焼けた町のニュースを聞き、男は自分が10年前に一夏を過ごしたその町のことを思い出す。卒業論文執筆のためにある地方の町にやってきた江口(山下規介)は、快活で芯の通ったような下宿先の娘、安子(小林聡美)と親しくなる。掘割がめぐらされ、水に囲まれた町を好ましく思う江口に対して安子は「こんな死んだ町、大嫌い」と険しい表情を見せる。安子には姉夫婦がいると聞くが、彼らは姿を見せない。町で過ごした最初の晩に水音に紛れて耳にした女性の泣く声を、江口は安子の姉の郁代(根岸季衣)だと考え、美人と評判の郁代に一目会いたいと思う。

江口はある日郁代の夫、直之(峰岸徹)と会い、彼ら夫婦が別居していることを知る。快活でありながらどこか暗い影を宿す直之は、いずれこの町は廃市になるし、今でももう死んでいるのだ、と安子と同じようなことを口にする。傍にはどこか幸の薄そうな美しい女性、秀(入江若葉)がついており、直之と暮らしているという。一方、強引に安子の後を追った江口は寺で暮らす郁代に出会う。この夫婦は互いを愛していると言いながら、他方は相手の想いを信じられず、もう一方はそれに反論する気力を持てないのであった。

滅びゆく町にあって未来を持てず、愛する女とも向き合えずに刹那的に今を楽しむ直之と、彼のために身を引く郁代、そしてそんな二人の板挟みになる安子の不安定で脆い関係は、悲劇的な結末を迎えることになる。

 

 

かつて『廃市』を読んだ時、ワンルームの静かな部屋だったのにも関わらず水音が聞こえたような気がした。あのときたしかに胸に浮かんだ風景が、音が、目の前に現れた。気怠い夏の昼下がりが永遠に続くような頽廃と美、狂気の同居する『廃市』の世界そのものだった。語り手と一部のキャラクターに名前が付けられている以外は、殆ど脚色のない福永の描いた話そのままの映画だった。映像となったことで、掘割に囲まれたあの町の閉ざされた感覚はさらに浮き彫りになり、安子や直之の語る「死んでいるような町」の顔を覗かせる。

 

観ていると、大林宣彦が些細な脚色や小道具に潜ませたに違いない、福永武彦へのラブレターとも思える敬意を感じられた。それについて書いておこうと思う。

 

ショパン

柳川に到着した明くる日、江口が息抜きに散歩しようと外に出たところで習い事帰りの安子に遭遇する場面だ。彼女はピアノを習っていて、楽譜を抱えているが、小説ではそんな設定はされていない。安子がここで抱えていたのはショパンの楽譜だった。

福永武彦ショパンといえば、『草の花』が真っ先に浮かぶ。この作品においてショパンのピアノ協奏曲第1番は主人公とヒロインを結ぶ重要なピースになっているし、物語の最後までショパンは纏わりつく。

そして、『草の花』と大林宣彦は切っても切れない関係にある。何しろ小説家を目指していた時分に「まるで自分が書いた小説じゃないか」と衝撃を受け、丸々暗記するほど読み込んだ小説であるのだ。ここでわざわざ安子にショパンを持たせたのは、生涯の書となった『草の花』へのオマージュではないだろうか。

 

○心の中を流れる河

(中略)…町はもうすでに遠く、列車は晩夏の原野を喘ぎながら走っていくばかりだった。そしてその時、僕は町が崩れ、取り返しのつかない時間が過ぎていく音を心の中を流れる河のように聞いていたのだった。

上に引用したのは映画の最後に流れるモノローグである。一夏の淡い思い出は、ある事件によって無残なものとなってしまった。全てが終わり、安子と三郎に見送られて列車に乗った江口は、遠ざかるホームを眺める。このモノローグは概ね小説の最後と同じだが、一部に特徴的な箇所がある。それがこの"心の中を流れる河のように"だ。何が、と言われればこれはもう直感でしかないのだけど、福永武彦が1956年に発表した中編に『心の中を流れる河』という作品がある(これは全集第4巻に収められている)。寂代という北海道の架空の土地を舞台に、戦時中に憲兵の圧力に屈して教会を閉じてしまった過去の自分をペトロになぞらえて悔やむ牧師と、夫と別れようと姉夫婦の元に身を寄せる義理の妹を通して信仰と欺瞞を描いている。

「わたしはこうして河の音を聞いているのよ。」

「河の音?」

「そうよ、河の音よ、」と梢が言った。

「でもひょっとしたら、わたしの心の中を流れている河の音かもしれないけど。」

(『心の中を流れる河』/福永武彦)

この作品で、寂代は娯楽もなく進歩を望まぬ医者や薬屋、問屋などの名士たちが住民を思うままに転がす停滞した町として描かれている。それはまるで『廃市』の町を見ているかのようだ。

今や町は殆ど消えかけ、安子もろとも幻となる。その決定的な場面において"心の中を流れる河"という言葉が使われていることに、想いを馳せてしまうのである。

 

○おまけ1:三郎!!!!

尾美としのりがいい味を出していた。小説では名前すらなかった下男改め三郎役として安子のお世話などをしていたのだけど、もう彼が映るたびにその目線、視線は意味ありげでつい引き込まれてしまった。この町に呑気に夢を抱く江口、安子の声にならない叫びを傍らでただ受け止め続けた彼が唯一爆発するのはラストだ。走り去る列車を追いかけて、江口にぶつけるのだ。

「この町では、みんなが思うとる人に、ちっとも気付いてもらえんとですよ!」

いやー参りました。

 

おまけ2:ヒロイン

安子役の小林聡美はもう愛嬌と仄暗さが絶妙なバランスで表裏になっていてやられましたね。三谷幸喜と並んで腕を組み合ったイメージが一掃されてしまった。

大林宣彦が語る福永作品のヒロイン像があまりに腑に落ちたので引用。

「福永さんの小説の主人公というのは草の花でも廃市でも、原作をちゃんと読めば、まず、ちっとも美人じゃなくて、やたら明るくてゲラゲラ笑うという少女なんですよね。で一方で、ギリシャ神話から抜け出たような美の化身、崇拝すべき相手が必ずいる。崇拝すべき、犯してはいけない神秘な美の世界と、非常に心休まる日常的な平安の中にあるものとの対比、それが福永文学の基本的な構造でしょ。」*1

 

○おまけ3:方言

小説では標準語で話す彼らだが(そもそも舞台が柳川とも断定していないのだから)、映画では柳川弁を操る。それについて大林宣彦は「文学の想像力の世界を、俳優という生身の肉体がやるんであれば、そのダイアローグもいっそ生身の肉体の生理を持ってきた方がいい」*2と語っている。福永文学に登場する抒情的で甘やかな人間たちの内部に巣食うプライドやエゴイズムの複雑な交錯を映像で表現するためにはそのどちらかを強調するだけではうまくいかない、と判断したからのようだ。

 

 

思い出が遠ざかり、全てが無になって初めて失われた時間への思いが募る。安子への想いに気づいた江口と同じように、観終わって何日も経った今でも私はあの死にかけの町を思い出すと胸が締め付けられる気がしてならない。

夜を駆ける

5月に入って日中は日差しも強くて暖かくなり風は涼しくて気持ちが良いし、そろそろスピッツがちょうど良い季節だな、と思った。まあスピッツは年がら年中聴いているのだけど、旬の時期に聴くのは身体全体を使って曲を受容しているようで心地良いものがある。

昨日、スピッツを聴きたいなと思っていたら頭の中である楽曲の一節が繰り返し流れ始めた。しかし何という曲だったのかタイトルが一向に思い出せない。ただ、"笑ったり 泣いたり…"という歌詞だけは認識できたので、恥を忍んで検索したら一瞬で見つかった。本当は自分で思い出したかったのだ。曲が分かったらすっきりして、その日はずっとこの曲ばかり聴いていた。

笑ったり 泣いたり
あたり前の生活を
二人で過ごせば
羽も生える 最高だね!

夢追い虫/スピッツ

スピッツを聴いていたら、中学生の頃にKREVA草野マサムネがコラボした"くればいいのに"のCDを貸してくれたのをきっかけに仲良くなった先輩のことが思い出された。同じ部活の同性の先輩で、ある秋の土曜に突然メールが来て、やり取りをするようになった。何かのきっかけで互いにスピッツが好きだと分かって、その曲のCDを貸してくれた。それから次の年の春ぐらいまで、恐らく一番近しい間柄の人だった。ある時期においては、お互いの心が重なり合うかのように親しかったのだ。私が初めてスタバの抹茶クリームフラペチーノを飲んだのはその先輩と一緒に遊びに行った時だし、2人でカラオケに行った日のことはその後何年も大事に抱え込んだ思い出だった。普段は中学と高校で校舎が違うから、移動教室の隙間に姿を遠くから見かけると胸が焦がれそうだったし挨拶できると天に昇りたい気持ちになった。そんな10年以上前のことを強く思い出してしまい、久しぶりに先輩の顔を思い浮かべた。

そういうわけで、昨夜は久しぶりに夢にその先輩が出てきたから驚いた。何しろ今までなかなか見たい夢を見ることって出来なかったから。

多分この数日白泉社のアプリのマンガparkで無料公開されていた由貴香織里の『天使禁猟区』を読んだのも影響している。ちょうど同じ時期に私がはまっていた漫画だったから、当時の気持ちに近づいたのかもしれない。あらゆる厨二が考えつくモティーフの全てが詰まった恐ろしい漫画で、あまりに壮大な世界観はいまだに全貌を理解し切れていない気がする。これは3日で慌てて読む漫画ではないな。

 

似てない僕らは

細い糸でつながっている

よくある赤いやつじゃなく

(夜を駆ける/スピッツ)

その後高校を卒業してから、その先輩とは今までに3度会った。定期的に会うのでも連絡を取り合う関係でもないし、進路もまるで違っているのでもしかしたらもう会う機会も訪れないかもしれない。それでも私はスピッツを聴くと否応無しに引き戻される瞬間があるし、恐らくあの閉ざされた数ヶ月間を忘れないから、願わくばこの歌詞のようであってほしいと思ってしまう。

 

コーヒーが冷めてしまってから

コーヒーを2杯飲んだ。カフェイン中毒とは無縁だしどちらかといえば紅茶派なのだけど、母が淹れたコーヒーを父が飲まずに寝てしまい、放っておくと家庭内不和を引き起こしかねないので父の分も飲んでしまった。今日は日中程よく眠かったからさぞかし夜は寝られるだろうと思っていたのに。

家族が顔を合わせる機会が増えて、対照的にそれぞれガス抜きの時間が目に見えて減ったからか、コミュニケーション不全の頻度が増えてしまったように思える。出口も見えないし、不安は募るばかりだ。最近はオープンしている飲食店や外出した人間を糾弾するだけでなく、直接制裁を下すような事案も起きているようで、昔授業で聞いた五人組や隣組制度ってこんな感じだったのだろうか。グレン・グールドと生年月日が完全に一致している祖母がお友達との電話で「戦時中に似た緊迫感だけど、あの頃と違って食べ物には困らないし夜中警報に怯えて寝られないということもないから、今の方がいいわね」と話していて、感服した。とはいえこのまま物流が止まるといつか食糧危機になるのかな、という不安は拭えない。

 

そんな気持ちを無意識に反映してか、『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』を観た。気にはなっていたのだ。挙国一致内閣やチェンバレンについてだいぶ忘れていたので、何度も観ている『英国王のスピーチ』の知識で補完した。てっきり第二次世界大戦の終わり頃の話だと思っていたら、その前段階のチャーチルが如何にして対独体制を築いたかという内容だった。次々に欧州各国を制圧するドイツ軍に恐れをなして和平交渉を進めようとするハリファックス伯(この人は初めて知った)やチェンバレンにどうやって対抗するかという政治劇のような趣だ。とにかく大英帝国ナチスと徹底抗戦し、敗れなかったのだという愛国心溢れる賛歌にも感じられた。どう見てもチャーチルゲイリー・オールドマンの厚みでどんどん押された。秘書への態度の変遷でチャーチル自身の心境の変化やら人間味が出ていたあたり面白かった。この秘書の人よく見る顔だなぁと思ったら案の定リリー・ジェームズだった。去年『ガーンジー島の読書会の秘密』と『イェスタデイ』を立て続けに見たのに彼女に気づかなかったという大ポカをしでかしたので、今回こそは…。ダンケルクが結構話の核心にあったので、そのうち『ダンケルク』も観るかぁという気になった。あと昔買ってどこかにやってしまったチャーチル回想録も読みたくなった…何処に……。

 

昨夜から不安が増幅して困り果てたので、ロビン・ウィリアムズの柔和な表情を求めて『レナードの朝』も観た。最後の30分ぐらい涙が溢れ続けていた。ロバート・デニーロのもう凄まじいとしか言えない演技に片時も気を緩められなかった。終盤のダンスシーンの静寂に胸が詰まってしまった。人間ドラマとして非常に上質であったと同時に、この話で描かれている人間の尊厳に関わる倫理的な問題は宿題のように重くのしかかった。

そして、ロビン・ウィリアムズがずっと大好きです。

O Captain!My Captain!

Cinema Paradiso

あれは大学に入学したての頃だったか、必修科目のクラスメイトたちと学内の芝生で涼んでいると、その中の一人が手に持っていたウクレレで「ニューシネマパラダイス」の愛のテーマを奏で始めた。彼は高校卒業後に旅に出たり働いてから大学に入ったので私よりも五つばかり歳が離れていて、クラスの中でもどこか大人びた、周りから無言のうちに頼りにされるような存在の人だった。この映画好きだよ、と声をかけると、「完全版とどちらが好き?」と投げかけられた。

ニューシネマパラダイスはオリジナル版と劇場版があり、日本で公開されたのは後者でこちらがより広く観られている。両親がこの映画を好んでいて、小さい頃からよくモリコーネの音楽が家では流れていた。この、耳に入ってくるだけでまだ幼いながらに遠い昔自分が赤ん坊だった頃を思い出させられるような、どこか懐かしく切ない旋律に私はずっと魅了されていた。音楽だけをずっと知っていたこの映画を初めて観たのは中学生の頃だったろうか。たしか劇場版だったと思う。とにかく耳慣れた美しい音楽とシチリアの風景、エレナとの悲しい別れを経てのあの永久に語られるべきラストシーンで胸を震わせっぱなしだった。公開当時、父はあのキスシーンから涙が止まらなかったらしいし、母はあの日終演して周りを見渡すと、おじさんがみんな泣いていたのよ、と笑いながら思い返していた。

この映画には完全版なるものが存在すると知ったのはそれからしばらくしてからだった。「びっくりするわよ」と母に半ば脅されながら、家にあったDVDを再生した。終盤、エレナにそっくりな少女が現れて、あれよあれよといううちに母となったエレナに再会し、かつての誤解を解く。幻の中で愛し続けていたエレナが目の前に現れたことで、トトは現実に引き戻されてしまった。アルフレードがあの日した行いも、明らかになる。全てがノスタルジーで包み込んでくれたような劇場版と違い、こちらには人生の厳しい残酷さがあるように思えた。

 


「私は劇場版かな。オリジナルの方って長すぎるしちょっと最後は蛇足じゃない?」

ウクレレに目をやりながらそう答えると、彼は一呼吸置いて口を開いた。

「僕もね、前はそう思っていたんだけど、今は完全版かな。人生って綺麗に割り切れるものでもないし、それを描いてるからこそ美しいよ」

ふーん、そういうものなのかなぁ、と私が返してその話は終わった。やっぱり私は夢は夢のままで終わる劇場版の方が好きだな。でも、まだ19歳にもなっていなかった自分には到底想像もつかない世界にこの人は立ち入ったことがあるのだろうか、と思った。

 


この映画をいつか劇場のスクリーンで観たい、とずっと思い続けていたのが漸く叶ったのは去年の夏で、午前10時の映画祭の上映作品に選ばれていたからだった。夏は体調を崩して思うように動けなくて、公開終了まであと二日というところでやっと観に行くことができた。一番近い映画館ではもう終わっていて、港に近い生まれてから一度も行ったことのない遠くの映画館に行くしかなかった。意外にこじんまりとしたスクリーンで、朝一番だからか客席の人もまばらだった。この映画を観るにはうってつけの環境だな、と思いながら席に着いた。勿論この日公開されていたのは劇場版だった。終始、ラストシーンでスクリーンを見つめるトトのような顔をして観ていたような気がする。見終わって、放心状態で帰路についた。せっかく遠方まで来たのだから買い物でも、と思っていたけれど何もする気になれなかった。

 

あの芝生での会話からいつのまにか六年も経っていて、その間に色々なことが起きた。せめてフィクションであってくれたらと思わされるような経験もしたし、未だに自分が何処に立っているのか分からなくなる瞬間がある。かつてのすれ違いや、もうあの頃に戻れないことを認めた上で、この先を歩いていかないといけない。カットされてあの頃の私には届かなかったトトの想いや、あの日彼が言っていたことはこの二、三年で徐々に自分の中で染み渡ってきたような気がする。一度自分が取り込んだものは、その時には気づかなくても長い時間かけて滋養となることがある。そう信じて今日も種を蒔こう。