自転車泥棒(呉明益) あるいは遠回りする形見

その本は年々縮小していく、家から一番近い本屋の海外文学のごく小さな棚の片隅に佇んでいた。

おそらく刊行された昨年の秋に新刊として仕入れたものがそのまま中国文学のコーナーに移されたのだろう。周りの本と比べ幾分か厚かった。

基本的にアジア文学というものを読んでこなかったので、呉明益という作家を知ったのはたまたまだった。年明けに匿名で教えていただいたのだ。もっとも、その時勧められたのは『歩道橋の魔術師』の方だったが。

というわけで新年から存在に気づいていたものの、何となく手が出せずにいるまま4ヶ月弱が過ぎた。4月の末に、「元号も変わるし最後に本屋に行っておくか〜」と軽い気持ちで前述の書店へ繰り出すと、相変わらずその本は同じ場所に鎮座していた。休職中の上に断捨離中だったので、新しいものを増やすつもりは毛頭なかった。

 

 

自転車泥棒

自転車泥棒

 

 

…はずだったのに、数頁立ち読みしてこれは私の読むべき本だという本からの囁きをうっかり聞いてしまい、めでたく『自転車泥棒』は私の平成最後の読書のお供になったのだった。

 


これは一人の中年男性の話であり、失踪した父親を巡る家族の喪失と再生の年代記であり、自転車の歴史の話であり、戦争に巻き込まれた台湾人兵士や動物の物語であり、自転車を通して点在する見ず知らずの人間たちを繋げていく話であった。

 

ざっくり言えば、自転車とともに20年前に失踪した父親の影を、彼自身ではなく自転車の辿った道をなぞることで捉え直そうとする息子の話である。

近しい人だからこそ言えない不満や哀しみを飲み込んでしまい、隠すことでしか人と付き合えない人はいる。主人公の父親は、何も言わずにある日いなくなってしまう。

終盤に、非常に胸打たれた台詞がある。

 

 

「私はこう考えています。彼やお父様のような人はどうやら、つい、なにかのはずみで、自分の手元に残してあったものを手放してしまう。でも、あなたのお父様が最後にどんな選択をしたとしても、なにか別のものを、やっぱり最後、自分の身辺から断ち切ってしまう人だと思います」

 

 
自分に連なる全てを断ち切ったものの、自転車だけは連れて行った父親。自転車さえ戻って来れば、アンバランスな家庭が元に戻るのでは、と希望を持つ主人公。

それにしても出てくる自転車たちの描写のなんと魅力的なことか。そして、戦前から戦後にかけて富の象徴であった自転車のよく盗まれること!

 

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なぜこの小説が「私のための本」に思えたのか。それは過去に私も大切な自転車を盗まれたことがあるからだ。と言っても、それは私の自転車ではない。

 


ある日ふっとこの世に別れを告げた友人は、何故か自転車を大学の駐輪場の定位置に置きっ放しにしていた。自転車ごと失踪した主人公の父親とは正反対に、彼はこの世界に一つ置き土産を残してくれた。突然の別れに途方に暮れて我を失いかけていた私には、見慣れたミントグリーンの自転車がまるで彼の残り香のように思えたのだ。以来、人目を忍んでは自転車を彼の墓標のように詣でていた。今思うと滑稽な話であるが、それぐらい、自転車というのは持ち主の魂があたかも憑依しているかのように感じさせられる瞬間がある。

 

ただ、そんな自転車も、ある日チェーンを切られ盗難されてしまった。

 

当時は身も世もなく悲しんだが、反面まあ世の中うまくできているなとも思った。いつまでも遺物にしがみついていたら、きっとままならなくなってしまうだろうから。

 

時同じくして私も大学を卒業し、色々あって当時住んでいたところから故郷に帰ったので、もう街であの自転車に出くわすことはないだろう。

ただ、時折あの輝かんばかりに明るい水色の自転車を想うことがある。

願わくば、鉄屑にされずに都内のどこかを、出来れば景観の良い道なんかを風を切って走っていてほしい。

 

 


そうしていつの日か私の前に現れてくれたら、その時は彼の辿ってきた長い旅路についてゆっくりと遡っていきたい。