森の入り口

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私はいつから夢を見ていたのか:『寝ても覚めても』感想

赤の他人どころか画面の向こうのフィクションの世界の人物なのに、観終わってから一ヶ月経ってもなお彼らのことを考えている。

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今年の春先に質問箱を介して『寝ても覚めても』を強くお勧めしてもらっていたが、当時は余裕がなくてあまり観る気になれず、漸く秋の終わり頃に観ることができた。乗り気じゃなかった理由の一つにこの映画が若い男女の甘酸っぱい恋模様を描いたラブストーリーぐらいの認識でいたからだ。

とんでもない勘違いだった。想像よりも遥か彼方まで感情を揺れ動かされるぐらい激しい映画だった。あと、率直に怖かった。

この映画について書き殴っていたら普通にネタバレになっていたので、映画をちゃんと観たいと思っている方は引き返していただきたい。

 

 

掴み所のない恋人・麦(東出昌大)を「めっちゃ好き」な主人公の朝子(唐田えりか)と、麦の失踪後に朝子と恋に落ちる麦と瓜二つの亮平(東出昌大)の8年間の物語。麦と書いて、「ばく」と読む。

この麦という男はまあ見るからに怪しくて、ヘラヘラしてるかと思えば朝子をナンパした男を無言で殴り続けたり、ふらっと行き先も告げずに出かけて一晩帰ってこなかったりする。友達の彼氏にいたらまあいい顔しないだろうし、実際朝子の友人も「あの男は絶対あかん奴や」と釘をさす。 

序盤で印象的なのは麦とバイクに二人乗りしていて何かにぶつかったのか道路に投げ出されたときだ。二人は世界に自分たちしか存在しないかのように抱き合ってキスをしていた。

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ふらふらしてすぐ何処かに行ってしまう麦は「あさちゃんのところに最後には帰ってくる」と約束するが、靴を買いに行ったまま帰ってこなかった。

 

それから二年が経ち未だに麦を忘れられないまま上京してカフェで働く朝子は、営業先の社員で麦に瓜二つ(こちらは小綺麗にしているが)の亮平と出会う。穴が空くほど亮平の顔だけを見つめる朝子からは麦しか見えていないことが分かる。消滅した筈の人間の記録をこの世に残すために目に焼き付けているのか、それともただただ愛する顔を見たかっただけなのか。

映画を通して朝子はなかなか感情を露わにしない。どこか浮世離れしていて、そんな彼女の裡に秘めた思いが溢れるのは見つめるという行為を通してである。

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亮平は麦とは違って堅実で真面目で人当たりが良い。亮平が機転を効かせて朝子と友人のマヤを救ったことをきっかけに彼らは急速に仲良くなる。社交的で気の利くマヤとどんどん打ち解けるのに対していつも黙って自分の顔を見つめる朝子とはいまいち距離を掴みかねる亮平。それでも亮平が好きになったのはそんな朝子だった。

 

朝子の友人で女優のマヤと元演劇青年の串橋が口論する場面は全編通して抜きん出ている。マヤが出演したチェーホフの『三人姉妹』のDVDを観た串橋はこんなの自己満足だ、チェーホフが何なのかわかっていない、こんな演技でお客さんに届くはずがないーなどと自身の鬱屈した心情を怒りにしてぶつける。傍観者として観ている筈なのに絶望的に気まずくなるぐらい冷え切った空気を取りなしたのが、「マヤちゃんの演技に私は感動した!」と主張する朝子だった。結局亮平のフォローもあって場は落ち着き、マヤと串橋は和解どころか五年後には結婚するまでに至る。

雑多な結び目を切ってもう一度初めからきちんと結び直すことで、新しい揺るぎない関係の生まれる瞬間を目の当たりにしたような感覚だった。麦と朝子、朝子と亮平の恋愛模様がとにかく相手の雰囲気に抗えようもなく呑み込まれてしまうようなものであるのと対照的に、串橋とマヤの二人の繋がりは明瞭だ。ずっと夢を見ているような不安定なこの映画の中で数少ない光明に思えた。

 

朝子が亮平と結ばれてから五年が経ち、二人は同棲している。大阪への転勤が決まった亮平は朝子に結婚を申し込み、朝子はそれを受ける前に麦とのことを懺悔する。最初は麦を引きずっていたが、今では亮平を愛しているのだと。麦ときちんとお別れをできていなかったがために亮平に惹かれていきながらも自信を持てない朝子だったが、亮平との婚約という確証を手にしてひとときの安寧を得る。

そんな二人の前に麦が現れて事態は急展開を迎える。引越し前日に朝子が留守番していると客人が現れる。ドアの向こうにいたのは麦だった。「あさちゃん迎えに来たよ!」と明るい声でドアを叩きながら麦が朝子を呼ぶシーンは正直ホラー以外の何物でもなかった。動揺した朝子はその場に崩れ落ちるが、程なくして亮平が帰宅する。あの光景は夢だったのだろうか?

しかし無情にも、串橋夫妻との婚約祝いのレストランに当たり前のように現れた麦は亮平を一瞥して「やっぱり待ってたじゃん」と言い残して朝子の手を取る。その刹那、朝子は迷うことなく麦の元に行ってしまう。

圧巻だった。朝子は追い縋る亮平を振り切り、マヤからの必死の説得の電話も拒絶し、自分の周りのもの全てを断ち切って麦と行く道を選ぶ。この瞬間、今までどこか頼りなく不安げだった彼女の姿はない。

 

恐ろしいのはこの『卒業』的エンドで終わらないところだ。麦の運転する車で北の大地を目指す朝子はうたた寝から目を覚まし、「長い夢を見ているみたいだった」と呟く。麦がいなくなってから今日までの時間が夢だったのか、それとも麦といる今が夢の中なのか。

麦との逃避行の途上で明け方の海を見た朝子は、長い間幻想の中で愛し続けていた麦ではなく、亮平を心から愛していたことに気づく。人は今自分が見ている世界は夢じゃないかと思っていても、夢から覚めて初めてそのことを自覚する。朝子は八年に渡る麦への夢から漸く目覚め、現実を直視する。あたかも今まで見ていた夢は獏の餌となって消えたかのように。亮平を好きな確固たる理由が浮かばず、その罪悪感から殊更に彼に愛情を注いでいた朝子にとって、心から彼を愛していると自覚したのは天啓のようなものだっただろう。しかし、友人からは絶縁され、援助を求めた知人にも呆れられた朝子にはこの世に亮平以外の繋がりは無いと言える。今まで彼女が居続けた暖かい空間は失われた。

それでも大阪の新居にどうにか辿り着いた朝子は、「帰れ!」と亮平から強い拒絶を受ける。もうこの時点で私の心はよれよれだった。この女はこれ以上どう破滅していくのだろうか。しかし朝子の凄いところはここですごすご引き下がらず、亮平との繋がりを保とうと動くところだ。亮平に預けた猫(駆け落ちする時にペットを相手に任せる時点で彼女は尋常では無い)を捨てられたというので、朝子は大雨の中でも猫を探し続ける。緊迫したシーンながら、迷子の猫を大雨の中呼び続けるのって『ティファニーで朝食を』のラストっぽいな、と少し和んだ。

 

全てを失ってもなお欲するほど愛する相手に気づいた彼女は無敵だ。そう考えて、ふと麦と同じなのでは?と思った。麦はかつて朝子を筆頭に周りの人間を全てシャットアウトして、欲求の赴くままに旅に出た。朝子は本能が麦を欲していたと分かった途端今まで築いてきたものを全て放って飛び立つ。麦と朝子は本質的に表裏一体の存在だ。本当に欲しいものに正直になるには破滅さえ厭わない強靭な心が必要なのか、周囲を焼け野原にしてまで掴み取った先に幸せはあるのだろうか。

果たして亮平は猫を捨てては居なかった。完全に朝子を切り捨てられないのが彼の優しさであり脆さなのか。そもそも簡単に取るか捨てるかなんて都合よく割り切れるものじゃない。「俺はもうお前を信用できない」と断言しながらも朝子を家に招き入れる亮平。「それでもいい」と朝子は残りの人生を亮平の側で共に過ごすことに決める。

亮平から愛され優しくされた夢も、待ち望んだ麦と共に生きていける夢も消え、残ったのは残酷な現実だ。緩みはありつつもどうにか結ばれていた二人の関係は完膚無きまでに破壊された。それでもまた一から結び直すことができる。

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確かに麦と亮平は同じ顔をしているけれども内実は全く異なっている。朝子は亮平を通して麦を見ていたが、最後には麦を通して亮平を見る。一番愛している人を知るのはこんなに苦しいことなのか、鋭い刃を突き付けられ続けた二時間だった。真実の愛は濁流のように全てのものを呑み込んでしまう。なんだかもう途中で麦って朝子の作った幻影だったのではとか、朝子の実体すら疑い始めてしまった。神懸かり的な存在にただの人間が翻弄させられているように見えた。いや、翻弄させられているのは私自身かもしれない。苦しさを伴いながらもこの映画を愛している自分に気づく。

とにかく、観終わってから「寝ても覚めても」彼らのことばかり考え続けているのだ。